◆【ビジョンストーリー(6)】「本当の自分を生きたい…」子宮がん、再婚、流産、低位鎖肛 障害のある娘の出産を経て見えた天命を生きる道──使命と天職を見つけた私の再出発の物語

最終更新日:2025年6月9日

こんにちは。
天職実現マスターマインド
コーチの鈴木みつこです。

 

今日は

「本当の自分を生きたい…」
流産・子宮がん・障害のある娘の出産を経て
見えた天命を生きる道──

 

使命と天職を見つけた
私の再出発の物語

 

というテーマでお話します。

 

◆昨日までのお話

 

昨日の記事では、

【人は人を変えることはできない】
【変えられるのは、自分だけ】

 

──そんな魂の真理を、
私自身の体験を通してお話ししました。

 

それは、かつて私が
亡き前夫・フレデリックの
がん闘病を見守ったときのことです。

 

医師から「余命半年」と告げられながらも、
彼は通常の医療をすべて拒否し、
【自分の信念に従って生きる】道を選びました。

 

私は、妻として、
そして一人の人間として──

 

どうにか彼を助けたいと願い、
病院での再受診や手術を促し、
自然療法やマクロビ、祈りやヒーリングなど
できる限りの方法を尽くしました。

 

でもその中で、私は悟ったのです。

 

【たとえ配偶者であっても、
その人の人生はその人だけのもの】

【人は人を変えることはできない】と。

 

だから私は、
恐れや不安ではなく、
彼の“魂の選択”を尊重し、

 

愛をもって静かに
見守ることを選びました。

 

彼は、自分の信念のもと、
告知から1年1か月──
力強く生き抜きました。

そして私は、
あの別れを通して
もうひとつの
真実に出会いました。

 

──それは、

【命は有限、でも人の“想い”は永遠】ということ。

 

25年以上経った今も、
彼はなつかしい
人生の戦友、
魂の伴侶として

 

彼のまなざしは、
あの時のまま 私の心に、
静かに生き続けています。

 

 

(4) 日本に帰国、再出発、そして再婚

◆帰国直後の逆カルチャーショック

 

NYでフレデリックを見送り、
32歳で日本に帰国した私は──

しばらく会社員として、
4年間働いていました。

 

けれども実は、
帰国直後の私は

思いがけない
「逆カルチャーショック」に
戸惑っていました。

 

自由でフラットなNYの空気の中で
ひょうひょうと生きている
“そのままの私”を
肯定されながら生きていたぶん、

 

日本社会の常識、

「空気を読む」
「和を乱さない」

という無言のルールが、
ときに息苦しく感じたのです。

 

◆“母との関係”の見直し

 

帰国してしばらく経った頃、
私は自分の母との関係に、

これまで気づかなかった
“ズレ”を感じ始めていました。

 

何か自分の意見を
伝えようとすると──

 

「おまえはアメリカ生活が長かったから、
少しかぶれている」

「だから日本社会のことがわかっていない」

 

そんなふうに言われることが、
何度もありました。

 

そのたびに、私は心の奥で
強い違和感と、
理不尽さを感じていました。

 

私は母のことを、
子どもの頃からずっと
尊敬していました。

実父亡き後は
専業主婦から、
結婚前の仕事に戻り
バリバリこなす、頼れる母。

 

「母なら、間違ったことは言わない」
そう信じて疑わなかったし、

 

母と私は“友達親子”
のような関係だと
どこかで思っていました。

 

でも、どこかでやっぱり、
なにかが
【かみ合っていなかった】のです。

 

それを明確に言葉にしてくれたのは、
再婚後の夫でした。

 

「なんか、おかしい」

「親分・子分の関係。自立していない」

 

「お母さんが親分で、
みつこが子分みたいな感じ」──と。

 

そのとき初めて、私は
ずっと“当たり前”だと思っていた
母との関係に

 

無意識の【支配構造】が
あったことに気づいたのです。

 

母は、今では年老いて、
昔ほど強くはありません。

 

しかし当時は
強くて、頼れて、

 

同時に、何ごとも
自分で仕切らないと
気がすまないタイプでした。

 

もちろん、
それは母自身の気質や、
時代背景もあってのことだと思います。

 

でも──
私には、もう
【違う生き方】が必要だった。

 

自分の考えを、
ちゃんと自分の言葉で語れること。

 

他者の意見を受け止めながらも、
自分の魂の声を信じて歩むこと。

 

誰かの期待や価値観の中で

いい人、いい子を
生きるのではなく──

 

【私は、私として、私の人生を生きる】

その覚悟を、私は少しずつ育てていったのです。

 

 

◆思い込みの枠を超えた「新しい人生」の始まり

 

やがてご縁があって、
私は再婚しました。

 

なぜかわからないのですが、
ライフステージが変わった──

 

そんな感覚が自分の中に
強く、確かに
湧き上がってきたのです。

 

当時の私は、
これは生涯、
絶対にできないだろうと
思い込んでいた

 

“人生の思い込み”が、
3つありました。

 

(内心は、憧れのような気持ちとともに)

 

 

それは

1.車の運転(怖くてできない)

 

2.9時5時の会社員生活
(私みたいに、ダンスやバイト、フリーランスで
生きてきた人間には、かっちりしたお勤めなんて無理)

 

3.子どもを持つこと
(実は私は、自分のことに手一杯で
そこまで子供に興味がなく
赤ちゃんを抱っこするのさえ
異様に怖かったのです)

 

そんな私が、
再婚を機に、少しずつ

その思い込みの枠を
超えていくことになったのです。

 

──人生には、魂が決めてきた
「次のステージ」が、
確かにあるのだと思います。

 

 

◆再婚を控えた矢先に届いた「子宮がん」の診断

 

来年には再婚を──
そう思っていた頃のある日、

 

会社の健康診断の結果が
郵送で届きました。

 

そこに記されていたのは、
まさかの「子宮がん」の診断。

 

まるで頭を殴られたような衝撃で、
しばらく言葉も出ませんでした。

 

私はそのとき、改めて知ったのです。

 

【がんを宣告される本人の気持ち】
というものが

 

家族として見守るときとは、
まったく違うということを。

 

フレデリックのがん闘病を
支えた過去を振り返りながら、

 

あのとき私は、
「本当の意味で彼の痛みに寄り添えていただろうか」と
心から反省しました。

 

◆女性にとっての「子宮」という場所

 

子宮──それは、
女性にとってとても特別な場所。

 

命を宿し、次の世代へとつなぐ臓器です。

 

そんな場所に、がんの疑いがあると告げられたのは、
ちょうど再婚を控えたタイミングでした。

 

「もし手術することになったら──」
「この話も、流れてしまうかもしれない」

 

そんな不安が、ふと心をよぎりました。

 

けれども幸運なことに、
診断されたのは【超・初期段階】で、
まだ細胞の異形成のレベルでした。

 

また、当初の病院での
告知の仕方にも配慮が足りず、

 

私は思い切って、セカンドオピニオンを求めて
別の大きな病院に移る決断をします。

 

そして、そこで──
私は人生の恩人とも言える、
一人の素晴らしいドクターと出会いました。

 

その先生は、
この出会いから20年以上にわたり、
私の婦人科系のすべてを見守ってくださいました。

 

◆命がけの出産と、祈りの時間

 

再婚後、
がんの経過観察を続けながらも、
私は少しずつ、日常を
取り戻していきました。

 

けれども──
現実は、想像していたよりも、
ずっと厳しいものでした。

 

まず私を待っていたのは、
「なかなか子どもに恵まれない」という現実。

 

小さないのちとの、静かな別れ
2度の流産──。

 

お腹の中で育っていた
赤ちゃんの心臓が、
静かにその鼓動を止めたと告げられたとき、

 

私はただ、言葉もなく
呆然とすることしかできませんでした。

 

それは、大人の死と向き合うときとは
まったく違う、深い痛み。

 

子どもを失うということ。
それは、たとえまだ
この世に生まれていなかったとしても、
母としての私の魂に、深く刻まれる経験でした。

 

さらに
ようやく授かった娘と息子の出産も、
決して平坦な道のりではありませんでした。

 

私は「双角子宮」といって、
子宮の形がハートのように分かれた特徴があり、
妊娠自体が高リスクとされていたのです。

 

さらに、妊娠前の流産も影響し、
どちらの出産も【命がけ】となりました。

 

出産後も、胎盤がはがれず、
癒着したままになる
「癒着胎盤」による40度を超す
高熱と感染症。

 

まさに、生死の境を
さまようような出産。

 

昔だったら、母体の命を
落としていただろう
そんな状況だったのです。

 

そのなかでも、
最初の娘の出産と、
その後の出来事は、
私の魂を大きく揺さぶりました。

 

娘の誕生と、
障害があると
わかったときの体験。

 

今から15年ほど前になりますが
娘がようやく6歳になり
小学校・入学式の前夜に書いた、
ひとつのエッセイとして
綴ったものがあります。

 

あのときの感覚や気づきが、
少しでも、あなたの心に届きますように
シェアさせてください。

 

*********************

 

幼い日のレナちんへ
「鎖肛ってなに?」

 

子育ては
親のためにあり

子どもは 親を癒し
許すために 生まれてくる
という言葉の意味が

ひとつ わかった
気がしたんだよ

どこまでも
透明な肌と輝く瞳

 

キミの卒園式の写真を
何度も見返しながら
つぶやく

 

明日は
もう入学式

 

ハハも娘も
準備バンタン

 

そうか あれから
もうそんなに
たったんだねと
ハハは思ったんだ

 

untitled

キミは 「低位鎖肛」という
先天性の直腸肛門 形成異常と

 

「肺動脈弁狭窄症」という
心臓病をもって

 

今から 6年前に
ハハのところを選んで
生まれてきてくれた

 

キミは スルッと
生まれたけど

 

そのあと
胎盤が出てこなくてね

 

癒着がひどくて
文字通り 素手で
内臓を引き千切られる痛みに

 

ハハは 獣のような
声をあげて 耐えたんだ

 

そして1カ月近くも
ハハは その胎盤のかけらを
お腹のなかに かかえながら

キミを見守ることになる

 

5時間たっても
分娩室から出てこないハハを
みんな心配してたけど

 

ついに出てきたときには
思わず涙がでてきて

 

その後もワイワイ病室で
喜びに ひたっていた

 

でもね ハハは
看護婦さんが
ヒョロっと キミの父に

 

「小児科の先生から
お話があるそうです」
と言葉をかけ

 

病室から出て行く姿を
見逃さなかったの

 

しばらくすると
キミの父
双方のジジババたちが

 

ワイワイ にぎやかな
お祝いムードを残して
帰っていった

 

ベッドの周りには
カーテンが
ひかれていたけれど

 

一度 病室の出口まで
みんなと行った
キミの父が

 

わざわざ また
ハハのベッドのところまで
戻ってきて

 

カーテンを ひょっと
少し 開けたんだ

 

ふだんは
しかめっツラを
してることが多い

 

同じB型でも
ハハより かなり神経繊細な

 

慢性胃炎タイプの キミの父が
見たこともないような笑顔で

 

一生懸命 ニコッと 笑みをつくり
小さく バイバイと
手を振って 帰っていった

 

そして その晩
ハハには キミのことは
知らされなかった

 

 

「鎖肛(さこう)」
って聞いたことあるかな

 

たぶん 知らないヒトの方が
多いと思う

 

ハハも ゼンゼン
知らなかったから

 

自分の子どもが
「鎖肛」だと言われて
初めて知って 勉強した

 

鎖肛っていうのは

生まれつき
肛門ができなかった
病気なんだ

 

3000~5000人に
1人の割合で出生する

 

出生時障害で
最も頻度の高いといわれる
口唇口蓋裂 (こうしん こうがいれつ)に
次いで多いらしい

 

小児外科のある
病院へ行けば
必ずといっていいほど
鎖肛の子どもはいる ときく

 

でも その名を知る人は
少ない

 

キミが 出生後に
「低位鎖肛」だと
医師から告げられたとき

 

ハハは ガツーンと
ショックを受け
ひどく落ち込んだ

 

でもね

 

ともすれば
「妊娠中に あれをしたからいけない
これをしたからいけない」

 

「わたしがぜんぶ悪い」
「子どもに申し訳ない」と

 

ネガティブな思いに
押しつぶされそうになるのを
振り切って

 

ハハは前に 進んできた

 

ウジウジ 悩んでいる
ヒマは なかったんだよ

 

 

できる限りの情報を
集めて理解し

 

自分の中で
キチっと真正面から受け止め

 

手術の日程を決めたり
産後 身体も精神も
非常に不安定な中で

 

ドンドン行動を
とらなくちゃ
ならなかったんだ

 

それにしても
出生頻度が 高い割りには
あまりにも 情報が少なかった

 

それは たぶん
場所が場所だけに

 

あまり声を大にしては
語られないのかもしれない

 

でもね ハハは
そのころ ネット上で
自分やお子さんの体験などを

 

タンタンと前向きに語って
くださっている方々の姿にも
出会ったの

 

それは
ブログという 言葉も

 

まだまだ 一般的でない
ずーっと前のこと

 

言葉は 生きて
愛を つむいでいく

 

だからハハは いま
語っている

 

いただいた愛を
つないでいる

 

鎖肛っていうのはね
直腸が途中で
途切れてしまっている場合と

 

尿道や膣など
他の場所が
直腸とつながっていて

 

その部分から
排便がみられる場合があるそうで

 

キミの場合は
直腸が途中で 閉塞しており

 

かわりに
「ろう孔」と言われる穴から
うんちが 出ているような
状態だと言われた

 

外から見ると
本来あるべき肛門の位置が

 

前方に少しズレているような
感じだった

 

キミの場合は
低位だったから

 

生後3週間目に一度
肛門形成の手術を受け
3週間入院した

 

全身麻酔から覚め
手術室から出てきたときの

 

パッチリしっかり
目を見開いていた

 

キミの誇り高き姿を
今でも よく覚えているよ

 

お尻の手術の前後は
うんちが出たら困るから
しばらくは絶食しなくてはいけない

 

お腹が減って
ギャーギャー泣いても

 

ミルクも 何も
飲ませてもらえない

 

キミは 看護婦さんから
空の哺乳瓶の ゴム乳首の部分に
ガーゼをつめたものを もらって

 

チュウチュウ おしゃぶりのように
吸っていた

 

生まれたばかりの赤ちゃんが
木の板みたいなのを 腕に巻き

 

点滴の注射を 固定され
四六時中 刺されている姿は
痛々しかった

 

 

手術が済むと
ここで かなりの個人差がでてくると
医師からは言われた

 

そのまま
すんなり自力で
排便が出来るようになる子もいれば

 

ブジーという
指をお尻に入れて
刺激を少し与えてあげる方法や

 

薬の力を借りなければ
排便できない
便秘になる子もいる

 

キミの場合は
1歳になるまで
毎日ブジーを続けたね

 

がまん強く
がんばり屋さんだったキミは

 

自力で 排便が
できるようになり

 

やがて おむつも
ほかの保育園の子たちと
変わらない時期に
卒業した

 

 

いま キミの弟が
いっしょうけんめい
トイレ・トレーニングをしているけれど

untitled

出生時 何の問題もなかった彼でさえ
おむつハズレには

 

かなりの時間と労力 忍耐力を要する
日々を思うたびに

 

キミが どれだけ
がんばったか あらためて
ハハは 感じるんだ

 

低位鎖肛
生まれつきのお尻の病気

 

そうしたハンデを
わざわざ選んで

 

キミの勇気ある魂は
この世に誕生した

 

「この家ならば
愛され 幸せになれる」

 

「自分の魂は
もっともっと成長できる」

 

キミの魂は そう思って
ハハや キミの父を
選んでくれたのだろうか

 

 

たくさん泣いたあと
ハハは 自分に
そう言い聞かせ

 

胸にかかえた想いを
ひとつひとつ
乗り越えてきた

 

だって
キミも また

光輝く 魂のひとつ
だったんだから

 

そのころハハが
毎日 キミを
ギュッと抱きしめて

 

こんなことを
語りかけていたのを
覚えているだろうか

 

ママは レナのことが 大好きだよ――
生まれてきてくれて どうもありがとう

 

パパとママを選んでくれて どうもありがとう

神さまが いつも レナのことを見ていて
守ってくれているよ

 

レナは 困っているひとを
たくさん助けてあげられる
ひとになってね

 

ひとのために
自分を役立てられるひとになってね

 

レナの たましいさんが
たくさん たくさん 成長しますように

 

ママは レナが大好きだよー

 

 

キミは
わかってるのか
わかってないのか

キョトンとして
聞いていたけれど

 

そう言って
キミを抱きしめると

 

ハハは
ふたりの魂が

 

ほんとうに
喜んでいるのを

感じていたんだよ

 

 

ミツコ
(2010.4.5)

 

***********************

 

◆最後に──あなたへ

 

今、もしあなたが
どうにもならない現実に
心が折れそうになっていたり、

 

大切な誰かとの関係に悩んでいたり、
未来が見えなくなりそうなときでも──

 

どうか忘れないでいてほしいのです。

 

私たちには、
何ひとつ無駄な経験などない。

 

 

たとえ思うように
いかない日々が続いても

 

誰かの決断を、
ただ見守ることしか
できなかったとしても

 

命の重みと向き合いながら、
涙する夜があったとしても──

 

それでも、すべては
あなたの
“魂が成長するために
必要だった時間”です。

 

人は人を変えることはできない。

 

でも、自分は変えられる。

 

 

どんなに痛みがあった過去でも、
あなたの中には、必ず
乗り越えていく力があります。

 

そして──
命は有限でも、
人の「想い」は永遠。

 

あなたの存在が、
あなたの選んだ道が、
あなたが今ここで発する言葉が、

 

きっと誰かの希望になっていきます。

 

だからどうか、
焦らずに、あなたのペースで。
魂の声を信じて、歩みを止めないでください。

 

私も同じように、
痛みの中から、この道を歩んできました。

 

この言葉が、
あなたの心に、そっと
寄り添うものでありますように──

 

長文を読んでくださり
ありがとうございました。

 

いつも心からあなたを応援しています

 

みつこ

もしあなたも、
「このままでは終われない」
「本当の自分を生きたい」と感じているなら──

わたしと一緒に、あなたの中に眠る
“使命"と“天職"の芽を見つけてみませんか?

まずは、こちらの【体験セッション】でお話ししましょう
▶︎ 体験セッションの詳細・お申し込みはこちら
https://mitsuko8888jibun.com/course/

 

\あなたの中の“魂の声”から、人生が大きくひらいていく/
✨【天職実現・使命発見の体験セッション】✨

「もっと私らしく生きていきたい」
「やりたいことがあるのに、動けない」
「人のために役に立ちたい。けれど、自信がない……」 そんな想いを抱えてきたあなたへ。
このセッションは、ただ話を聞くだけではありません。
あなたの内側に眠る“魂の声”とつながり、
本当に望んでいる未来を一緒にひらいていく、特別な時間です。 🌿繊細さやブロックを、強みに変えるための一歩。
🌿迷いや焦りを手放し、“本当の私”で動ける自分に。 あなたに合った「環境」と「仕組み」を整えながら、
使命・天職を現実にしていく道が、ここから始まります。 ▼詳細・お申込みはこちらから https://mitsuko8888jibun.com/course/ ──────────── 🌟夢を「魂のブループリント」から、形にしたいあなたへ🌟
無料プレゼント《3つの鍵》を今すぐ受け取ってください! 「わたしの使命・天職って何だろう?」
そんな問いに迷ったら、
まずはこの3つを知ることから始めてみてください。 ▶︎無料プレゼントはこちら
https://mail.omc7.com/l/03Krq6/Kp8Oit19/ ──────────── あなたの中には、
まだ出会っていない可能性がたくさん眠っています。
そしてそれは、今からでも必ず目覚めます。 変化の鍵は、「やる気」や「才能」ではなく、
【魂に沿った習慣】と【あなたに合った環境・仕組み】です。 あなたの人生が、もっと自由に、もっと豊かにひらいていきますように──。
心から応援しています。

【体験セッション】天職・起業副業に対する自信をつけたい!伸び悩みの原因を特定します

 


夢を形にする最短ルートへ!
天職実現・起業副業・独立に挑戦したいあなたへ

「私の使命・天職って何だろう?」
https://mail.omc7.com/l/03Krq6/Kp8Oit19/

そんな悩みを解消し、最短で夢を具現化する
ための 3つのポイント をお伝えします!


関連記事

LINE限定の無料特典プレゼント

最近の投稿

魂は折れない。人生で何が起きたかより、どう意味づけし、今をどう生きるかがすべて。痛みも迷いも、使命と天職へ続く道になる。今、あなたは本当に望む未来に向かって、生きていますか?

◆息子の出産、子宮の全摘出手術、自閉症の診断と向き合いながら、私が出会った“使命と天職”…

今日のブログは、ちょっと深いお話を書きました。
流産、子宮がん、障害のある娘の出産──

思いもよらない出来事の連続の中で、
私は「命の尊さ」と「本当の自分を生きること」の
意味に気づきました。

「もう終わりだ…」と思った場所から、
【使命を生きる人生】が静かに始まっていたのです。…

Load More