◆息子の出産、子宮の全摘出手術、自閉症の診断と向き合いながら、私が出会った“使命と天職” 【ビジョンストーリー(7)】

最終更新日:2025年6月10日

こんにちは。
天職実現マスターマインド
コーチの鈴木みつこです。

今日は

息子の出産、子宮の喪失──
自閉症の診断と向き合いながら、
私が出会った“使命”と“天職”

 

メンターとの出会いが開いた、魂の道。
すべてを受け入れ、天職へと続く人生の再出発。

 

というテーマでお話します。

 

◆昨日までのお話

 

「本当の私として、生き直したい」

 

フレデリックの死を経て
日本に帰国した私は、

 

社会の空気、母との関係、
そして自分自身の“思い込み”に
深く向き合うことになります。

 

子宮がんの告知、再婚、流産、
そして障害をもって
生まれてきた娘との出会い──

 

命の重みを前に、
ただ自分の最善を尽くす
しかなかったあの時間が、

 

かえって「本当の私を生きる」
という魂の覚悟を、
育ててくれたのかもしれません。

 

痛みも、迷いも、すべてが
“魂の軌道”を生き直すために
与えられたギフトだった。

 

そんな「再出発」の物語を、
昨日の記事でお届けしました。

https://mitsuko8888jibun.com/2025/06/09/blog-20250609/

 

でも── そこからが、
また新たな人生のステージの始まりでした。

 

出産を経て、次々と訪れた現実。

 

娘の障害、
息子の自閉症の診断、
夫のアスペルガーの特性……

 

今日の記事では、
当時の想いを綴ったエッセイとともに、

 

「リョウちゃんのひとりごと」を
お届けします。

 

(4) 日本に帰国、再出発、そして再婚

◆子どもを育てながら、“私”も育て直していった時間

 

 

その後も、現実は、本当に容赦なく、
次々と想像を超える出来事が
起こっていきました。

 

娘は、先天性の心臓病の経過観察を経て、
幸い手術を受けずにすむことがわかり、

 

生まれつきの直腸奇形(鎖肛)の手術も
無事成功し、少しずつ回復へと向かいました。

 

おむつも予定より早く外れ、
保育園に元気いっぱい
通えるようになったころ──

 

私は、第二子となる
息子を出産しました。

 

 

その前後、わたしは
娘が2歳半を過ぎたころ、

 

本格的に
「自宅で仕事を始める」
という新たな挑戦に踏み出します。

 

◆人生初のメンターにつく

 

当時、そうした学びと
実践 仕事の日々の中で

 

ご縁をいただいたのが──

アメリカ・シカゴ在住の、
今もなお圧倒的なカリスマ性を放つ
日本人女性の起業家の方でした。

 

人生で初めて
「この人から学びたい」と思える、
魂からのメンターとの出会いでした。

 

週に2回、夜10時から深夜まで──

 

日本とアメリカをつなぐ
“電話会議室システム”を使い、

 

音声のみで参加するオンライン勉強会に、
私は欠かさず参加していました。

 

(当時はまだZoomもSkypeもない時代。
画面共有もビデオ通話もなく、
パソコン上で音声だけのやりとりでした)

 

子どもたちをなんとか
寝かしつけたあと、

 

暗い部屋でパソコンの前に座り
イヤホンを耳をさし、

 

全力で集中して学び発言する
魂に火を灯すような時間を過ごしていたのを、
今でもよく覚えています。

 

そこには、全国・海外から、
同じように「自分の人生を生きたい」と願う
志の高い仲間たちが集まっていました。

 

◆今の私の土台になっている日々

 

「出す80%、入れる20%。
アウトプット力が人生を変える」

 

「人生で何が起きるかは重要でない
どう対処するかが問題だ」

 

メンターからの
数々の学びは、

 

当時の私の心に、
深く深く刻まれました。

 

本当の自分を生きるとは、
飾らずに、自分の言葉で
想いを差し出すこと。

 

その覚悟と実践力を、
私はあの頃、日々の挑戦の中で、
何度も叩き込まれるようにして
学んでいきました。

 

もし今の私に、
「伝える力」や「行動する力」が
少しでもあるとしたら──

 

その土台は、まちがいなく、
20年前の
あの時代に築かれたものです。

 

 

もちろん、最初から
できていたわけではありません。

 

むしろ私は、知識ばかり増えて、
動けないタイプ。

 

石橋を叩いて、叩きすぎて
壊してしまうような、

 

そんな“頭でっかちの自分”に、
何度も悩んできました。

 

だからこそ、あの実践の日々が、
私の魂に火を灯してくれたのです。

 

◆活動から離れて

 

やがて私は、
そのメンターや活動の場を離れ

 

自分自身の足で、少しずつ
「私の道」を歩きはじめました。

 

でも──
あの時間がなければ、今の私はいない。

 

それだけ、あの日々は
私の“魂の土台”をつくってくれた、
大切な時間でした。

 

魂の使命を生きるための在り方。

 

“最高の自分”として、
誰かの力になっていくための
基礎、土台、体力のようなもの。

 

あのときがあったからこそ、
今の私があり、
“魂の声”と一致した
ビジネスを生きる今があります。

 

それが、まさに私の──
使命と天職実現、
そして“魂のビジネス”の原点となっています。

 

◆息子を出産する前に届いた──高次からのメッセージ

 

息子を出産した当時、

 

私はすでに
「この仕事=志事(しごと)」に
取り組みはじめていました。

 

それは、人を元気にし、
癒し、導く“魂の志事”。

 

自分自身が
“最高の自分”を生きながら、

 

その背中で、
誰かの可能性をそっと拓いていく──

 

そんな在り方を大切にする、
私の使命そのものでした。

 

ちょうどその頃、
ある特別な出来事がありました。

 

メンターの友人で、
アメリカのサイキックの方に、
魂のリーディングをしていただく
機会が何度かあったのです。

 

そしてある日──
日本に一時帰国していたメンターが、
どこか嬉しそうに、私にこう話してくれました。

 

「この前ね、〇〇から
(アメリカのあのサイキックの男性)、
こんなことを言われたの」

 

「最近、まわりに赤ちゃんが
生まれそうな人っていない?」

 

「もし思い当たる人がいたら、伝えてあげてほしいんだ」

 

「すごーーーく“いい子”が生まれるよ」と

 

「こっちの世界(高次元)ではね、
本当にみんな、心から喜んでる」

 

「その子の魂は、もう自分にとっての必要な学びは
すべて終えていて」

 

「今回は、自分のためじゃなくて、
“お母さんを助けに行く”ために
生まれてくるんだよ」

 

そう言っていたよ、と、
メンターは笑顔で嬉しそうに
私に伝えてくださったのです。

 

「これはね、
ミツコさんのこと
だと思ったの」

 

そしてその言葉は──
まさに、その通りになったのです。

 

 

その後
息子を出産したときも、
私はまた、命の淵を
さまようことになりました。

 

胎盤が自然には出てこず、
体内に残ったまま、
感染症を引き起こしかけていたのです。

 

高熱にうなされ、意識が遠のきながら、
身体は敗血症寸前の状態に
追い込まれていました。

 

そして最終的に──
私は「子宮を全摘出する」という決断を、
緊急で下すことになったのです。

 

◆「診断」という名前がつくまでの、長い時間

 

息子は3歳のときに
自閉症スペクトラム(ASD)と
軽度の知的障害と診断されました。

 

でも── 最初からそのことが、
はっきりとわかっていたわけ
ではありません。

 

生まれたときから、足がとても細く、
首が座るのも遅くて……

 

ハイハイを一度もしないまま、
ようやく歩けるようになったのは、
1歳10カ月のころでした。

 

 

上の娘は、生後11カ月で立ち上がり、
1歳のお祝いには、紅白のお餅を
背負って歩いていたので、
その違いは歴然としていました。

 

最初の2年間は、
小児神経科に通いながら、
MRIなど大きな検査も受けました。

 

でも、その時点では、
はっきりした原因はわからず、

 

「経過観察」という言葉とともに、
私たちはただ、静かに様子を
見守ることしかできなかったのです。

 

そして──
ようやく名前がついたのは、

 

経過観察も終わりに
差しかかろうとしていた、
そんな時期でした。

 

◆「やっぱり、何かがおかしい」

 

「やっぱり、これはおかしいかもしれない」
「もう一度、病院に行かなくては」

 

そんなふうに、息子の異変に
本格的に気づいたのは、

 

保育園の3歳未満児クラスで行われた、
12月の発表会のときでした。

 

保育園の広い板の間に設けられた
小さなステージの上。

 

他の子たちは、
緊張しながらも嬉しそうに前を向いて、

 

先生の指示に従い、歌や劇に
一生懸命取り組んでいました。

 

けれど──
息子だけが、最初から最後まで
“能面”のような無表情で、

 

ずっと真横を向いたまま、
ピクリとも動かなかったのです。

 

さらにその少し前、秋の運動会でも
かけっこの順番が回ってきても
「競争」の意識がまるでなく、

 

そもそも最後まで
走り切ることができない場面がありました。

 

その姿に、私は心のどこかで感じていました。

 

「何かが違う。これは、
ただの個性ではない」と。

 

その後、私は再び
大きな病院を受診することに。

 

そして──
診察室に入るなり、
まだ、助詞などを入れた
まとまった話し言葉で
会話ができなかった息子が、

 

突然、大好きな
アンパンマンのセリフを
機関銃のようにまくし立てるように
喋りはじめたのです。

 

止まらない独り言。

 

それを見た医師は、
私に向き直り、静かにこう告げました。

 

「簡単に言ってしまえば──自閉症です。
いまは“発達障害”という言い方もされますが……」

 

 

◆「診断」された日

 

その瞬間、時間が
ふっと止まったように感じました。

 

胸の奥に、ずしりと重たい現実が
落ちてきたのを、はっきりと覚えています。

 

そして同時に、私は怒りで震えていました。

 

「そんな大事なことを、
そんなふうに“簡単に”言わないでほしい」

 

医師の淡々とした口調が、
私の心に鋭く突き刺さりました。

 

こうして──
息子は3歳で、
「自閉症」と正式に診断を受けました。

 

その帰り道。

 

小1の娘と
3歳の息子を連れて向かった、
病院の広い駐車場。

 

私はそこで、
息子のことで初めて、
涙を流しました。

 

娘が「ママどうしたの?」
と心配するほど、

 

ただ運転席に座って
ぽろぽろと
声もなく泣いていた私。

 

でも──
息子の障害のことで
泣いたのは、その一度きりです。

 

私はその瞬間、心の奥で静かに決めたのです。

 

「私は、すべてを受け入れて、
この子たちとともに歩いていこう」

 

そして、奮い立たせるように、
自分自身に火を灯しました。

 

 

当時記したエッセイを
あなたにも、シェアさせてください。

 

私が大切にしている想いが
今この文章を読んで
くださっているあなたの心に、
そっと届くものでありますように──。

 

*********************

◆『リョウちゃんの ひとりごと』

 

『リョウちゃんの ひとりごと』

 

もうじき ほいくえんで
ひとつ うえの
あひるぐみ さん という

 

おにいさんクラスに なれるのを
こころまちにしている
リョウちゃんは

 

さっき のんだばかりの
とうにゅうで おなかが
たぽたぽして いたけれど

 

まだ90センチに
みたいない せたけで
せかいを ながめながら
おもった

 

じんせいで
なにが おきるかは
じゅうよう でない

 

それに どう
たいしょ するかが
もんだいだ って

 

ママは ぼくを うんだとき
たいばんが でてこなくて
ひどい かんせんしょうになり

 

このままだと
しんでしまうかも
しれないと いわれた

 

もともとが
ナチュラル しこう だったので

 

できることは
ぜんぶやった みたいだけど
だめ だったらしい

 

そして なんにちか たったあと
おいしゃさんから

 

もう まてない
きんきゅう しゅじゅつをして

しきゅうを ぜんぶ とらないと
いのちに かかわると つげられた

 

そのばん しょうとうご
にゅういん ちゅうの
ベッドのうえで ママは
すこしだけ ないた

 

でも こう おもって
ふんきし
よみがえった

 

 

なにがあっても
アタシの たましいは
ぜったい だいじょうぶ

 

じんせいで
なにが おきるかは
じゅうよう でない

 

それに どう
たいしょ するか が
もんだいだ って

 

いま この しゅうかんにも
おなじ びょうとうで

 

おさない こ たちを かかえながら
しの やまいと たたかっている

おかあさんも いるかもしれない

 

 

そのひとの こころの いたみや
がんばりに くらべたら
なんの これしき

 

 

いま ここで
このしゅんかん
わたしは わたしにできる

 

さいだいげんのことを かんがえ
そく こうどうする

 

 

ただ それだけ

 

 

つぎのあさ
ママの ようだいは よくなくて

 

しゅじゅつの
じかんが はやまった

 

パパは しごとで
これないのは
さいしょから わかってたけど

 

たのみに していた
ばあちゃんたちは

 

すこし とおくに すんでたから
しゅじゅつ かいしに
まに あわなかったんだ

 

でもね
こころある かんごふさんが

 

そっと ぼくを

しんせいじ しつから
だっこして

 

ママのびょうしつに
つれてってくれたの

 

だから ぼくは ひとりだけ
エレベーターのむこうに きえる

 

ママを みおくることが
できたんだよ

 

 

それから
ぼくが すこし まえまで いた

 

ママの しきゅうは
おいしゃさんのてで
きりとられ

 

さきに てんごくへ
たび だった

 

ママは しきゅう という
そうぞうせいを つかさどり

 

いのちを うみだす
ぞうき ひとつぶん だけ

 

さきに てんごくへ おくったけど

 

でもね いまでも
むこうと こっちで
ピコピコ つうしん してるんだって

 

 

ひとは みな
じぶんの じんせいに
おきた できごとを

 

まいにち ホンヤク しながら
いきている

 

それは きっと
うちゅうが よういしてくれた

 

げんざいりょうを ホンヤクし

 

じぶんのことばで
ものがたりを かきつづり

 

いま ここに ある じぶんを
まいふん まいびょう

 

つくりあげて ひょうげんしてる
ってこと なのかもしれない

 

げんさくしゃの いとを
どう くみとり
かんじ

 

どのように ホンヤクし
じぶんなりの ものがたりを
かきつづるかは

 

じゆう なんだ

しあわせって べつに
どこかへ いって
なるもん じゃない でしょ?

 

この しゅんかん しゅんかん
「かんじる」 こと

 

そして
その かんじかたは

 

みな ひとりひとりが もつ
たましいの きんせんが

 

どのように
ふるえるかに よって
ちがう

 

でも
すべての こたえは

 

そと じゃない
うちがわに あるから

 

ただ それを
おもいだせば いいんだよ

 

ミツコ (2010/02/23)

 

*********************************

 

◆最後に──あなたへ

 

ここまで読んでくださって、
本当にありがとうございます。

 

私が当時綴った
『リョウちゃんのひとりごと』は、

 

ある意味で、私自身が
“自分の魂と対話しながら書いた手紙”
のようなものでした。

 

子宮という
「命を宿す場所」を失うことは、
女性として、母として、

 

ひとつの終わりのように
感じた瞬間でもありました。

 

でも──
そこから私は、自分の内なる“創造性”を、
もう一度信じ直す旅に出ました。

 

それは、何かを「生み出す」ためではなく、
“どう生きるか”を、
自分で選び直す旅だったのです。

 

人生に、正解も不正解もありません。

あるのはただ、
「あなたにしか歩けない道」があるということ。

 

 

大切なのは、
何が起きたかではなく、

 

それを“どう受け止めるか”で、
人生はまったく違うものになる──ということ。

 

どんなに大きな喪失や、
痛みの中にあっても、

 

人はいつからでも、
どこからでも、自分の魂の声に還り、
“本当の人生”を生き直すことができるのです。

 

私がそれを体験してきたように──
あなたにも、きっとできると信じています。

 

だから、どうかあなたにも、
今ここから、静かに問いかけてみてください。

 

「私は、本当はどんな人生を生きたい?」

 

「私は、どんな自分として、
どんな仲間たちと
誰とともに、
どんなふうに 命を使いたい?」

 

「自分の使命、天職を生きたい?」

 

その答えは、
どこか遠くに探しに行かなくても、

 

あなたの“魂の奥”に、
もうちゃんとあるはずです。

 

どうかその声を、聞き逃さずに。

 

あなたの人生は、いつからでも
最高の人生のストーリーを書き直せる。
そのことを、どうか忘れないでくださいね。

私は、あなたの中にある光を、
心から信じています。

 

応援しています!

 

鈴木みつこ

***************

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