(7) 豊川稲荷・本山(愛知)|天職実現の本当の意味|世間の成功は関係ないと腑に落ちた日
こんにちは。
天職実現マスターマインド
コーチの鈴木みつこです。
昨日の記事では、
(6) 豊川稲荷・本山(愛知)|奥の院・切り火参拝、人生へ持ち帰った火
https://mitsuko8888jibun.com/2026/02/10/toyokawa-inari-honzan-sampai-6/
をシェアしています。
今日はそのつづき、最終話です。
目次
■ 誤解がほどけた瞬間
奥の院での切り火参拝を終え、
参拝も終盤に差しかかるころ、
境内をゆっくりと一周しました。
清々しく、
どこまでも澄んだ、
あたたかな歓迎の氣に包まれながら。
歩きながら、
きっと前を嬉しそうに
ぴょんぴょん跳ねながら
案内してくださっているであろう
ご眷属のお稲荷さんに、
心の中で、
お詫びをしていました。

これまで私は、
どこかで
(なんでかわからないけれど)
「豊川稲荷が一番、こわいかも」
「私は近寄れない。。。」
そんなふうに思っていたことを
本当に申し訳ありませんでした、と。
そして、
また必ずお参りします。
大好きになりました。
そう、素直な気持ちをお伝えしました。
怖さだと思っていたものは、
覚悟を持つ厳しさであり、
真剣さであり、
本気で向き合ってくださる力
だったのかもしれません。
そのことに気づけたこと自体が、
この日の大きな贈りものだったように感じています。

■御朱印をいただく
それから、本殿の近くに戻り
お願いしていた御朱印を、
引換券とともに受け取りました。
今回は二つ。
・一般の御朱印

・荼枳尼天さんの特別御朱印
特別御朱印は、
色鮮やかでとても美しく、
本山での一日を象徴する一枚でした。
目にした瞬間、
あの日あの時の空気や感覚へ
すぐに戻れると感じました。

だからこそ、
ビジョンボードに貼ろうと思いました。
それは記念品としてではなく、
今の自分の立ち位置と
進む方向を確認するための印。
“思い出すため”ではなく、
“自分の魂の軸を合わせるため”の御朱印でした。
■ 参拝の“行き”と“帰り”の違い
いつも感じることがあります。
神社仏閣への参拝は、
行きと帰りで、
空気がまったく違うのです。
良い悪いではありません。
たとえば
行きは、全身で受け取る時間
その場の氣を、
まっすぐに受け取る時間です。
神社仏閣の
総門や鳥居をくぐった瞬間から、
「こんにちは。
今日はお詣りさせていただき
ありがとうございます」
そんなご挨拶が、
自然と心の中で始まります。

今回お参りできることへのお礼。
住所、名前、自己紹介。
近況のご報告。
そして、今抱いている願い。
歩きながら、ずっと心の中で、
神仏やご眷属にお話ししています。
だからこそ、
基本的には一人で
お参りすることが多いのです。
■ 全身をひらくということ
そうこうしているうちに
全身がスポンジ状態になり、
その場の空気や高い氣、
澄んだエネルギーを
そのまま受け取らせて
いただく感覚になります。

頭で考えるというよりも、
体全体のまわりに
センサーがあるような感じで、
それを最大限に活性化して、
直接取り込むような感覚です。
(わたしは、
ビジネスや魂の学びも、
この感覚で受け取ることが多いです。
ノートを取るというより、
直接オーラに入れてしまった方が早い、
そんな感覚に近いのです)
■ 写真を撮るということ
写真を撮りたくなるのも、
本殿や拝殿で祈る前や直後です。
「お写真を撮らせてください」
とくに神域にいるときは
そう心の中で許可をいただいてから、
一枚、撮らせていただきます。
その一枚は、
記録というよりも、
その瞬間の氣配や高いエネルギーを
持ち帰らせていただくような感覚です。
■ 私の場合の本殿での祈り方
本殿や拝殿の前に立ったときは、
後ろに並ぶ方もいらっしゃるので、
そこで長く留まることはしません。
お賽銭箱の前でずっと
お話や願掛けをする、というよりも――
そこでは、
改めて丁寧にお詣りはしますが
その前から、
ずっと心の中でお話している感じです。
そして、行ける場合は
本殿の右や左へとぐるりと回ります。
自分にとって、
神様や仏様の氣を
とりわけ強く感じる場所を探して。
その場所で、
ゆっくりと祈る。
その時間が、
私にとって何より
大切なひとときです。

■ 帰り|満ちたあとの静かな安堵
一方、帰り道はまったく違います。
やるべきことをやりきった、
深い安堵感。
スポンジがいっぱいに満ちた状態。
「ありがとうございました~」
そうお伝えして、
高い波動をまとったまま
安心して帰途につきます。
この日も、最後に
最初にご挨拶した鳥居の白狐さんへ
もう一度、丁寧にお礼をしました。

今日この日を
与えていただいたことへの
感謝で満ちていました。
総門を出て
家族へのお土産に稲荷寿司を買い、
飯田線で豊橋へ。
そこから新幹線で帰路につきました。
■ 帰りの電車で開いたおみくじ
帰りの飯田線。
電車に揺られながら、
おみくじをゆっくりと開きました。
おみくじを開ける瞬間は、
いつも少しだけ緊張します。
たとえ厳しい言葉が書いてあったとしても、
その中から
今の自分にしっくりくるものを
受け取ろう。
お願いしたことへの、
神仏からの護りや言葉、
ひとつの返事だと思って
開いています。
この日も、境内で
ビビっときた場所で
おみくじをいただきました。
そして、その場では開けず、
あえて電車の中で。
なぜか、
凶が出るときは
なんとなくわかることがあります。
そういうときは
その場で開けて、
場に結び、
神仏に引き取って
いただくことが多いのですが。
この日は、電車の中で
文字を見る瞬間に
ふっと感じました。
「あ、大吉かも」
そして本当にその通りになりました。
■ おみくじのメッセージ





同じ日に――
大吉が二つ。
そして吉が一つ。
一瞬、目を疑いました。
けれど、
本当に心が震えたのは、
その“結果”ではなく、
そこに書かれていた中身でした。
三つのおみくじに記されていたことは、
まるで一本の物語のように、
静かに重なっていたのです。
・最初は困難がある
・驚くな、迷うな
・慢心するな
・やがて立身する
・引き立てを受ける
・後には平和に収まる
大吉。
けれど、
いきなり祝福の言葉が並ぶのではなく、
まず示されるのは「心得」と「在り方」。
浮かれず、
焦らず、
驕らず。
そのうえで、
確実に道は開いていく。
胸の奥に、
ずしんと響きました。
これは偶然ではない、と。
東京別院で
これまで引いてきた
おみくじとも、
流れはまったく同じだったのです。
「最初は大変。でも、その後に開く」
何度も、
何度も、
受け取ってきたメッセージ。
■晩年運が強い
そして、
さまざまな占いでも
繰り返し言われてきた言葉があります。
私は、
「晩年運が強い」と。
前半は苦労が多い、とも。
振り返ってみれば、
確かにその通りだったかもしれません。
だからこそ、
60歳からが本番。
これからが、
本当の意味での開花。
そう言われ続けてきました。
人生を一周ぐるりと巡り、
丙午(ひのえうま)の年女として、
お稲荷さんとご縁の深い
初午の日に、
豊川稲荷本山へお参りできたこと。
それは、私にとって
単なる参拝ではなく、
人生のリスタートを告げる
節目の時間だったのだと思います。
これまで受け取ってきた言葉。
この日の体験。
そして、おみくじの内容。
すべてが、
ひとつの線で結ばれました。
まるで、
「ここまで、よく歩いてきましたね」
そう静かに、
語りかけられたように。
胸の奥に、
揺るぎない確信が、
ゆっくりと広がっていきました。
■ 東京別院と本山の違い
私は静岡・三島に住んでいるので、
名古屋方面よりも、
ふだんは東京へ向かうことの方が多いのです。
ご縁を最初にいただいたのも、
豊川稲荷・東京別院でした。
同じ豊川稲荷でも、
私の中では、いい意味での
“違い”のようなものを感じました。
(本質は同じですが)
東京別院は、
赤坂という土地の氣も
あるのかもしれませんが、
どこか都会的で、クール。
奥の院で感じるダキニ天さんの氣は、
背筋がすっと伸びるような厳しさがあり、
凛としている。

けれど、その奥には、
揺るがない優しさがある。
静かな緊張感と、
澄んだ芯の強さを感じます。
一方、愛知の本山のダキニ天さんは、
よりやわらかい。
三州、愛知や東海独特の、
どこか人懐こい空気。
やわらかさ、
華やかさ、
そして、包み込むような温かさ。

もちろん、
どちらの御眷属・白狐さまにも
厳しさはあります。
けれど――
礼を尽くす者には、
とても温かい。

本山では、
なぜか笑っているように見える白狐像が、
多く感じられました。
厳しさと温かさ。
その両方があることを、
今回あらためて、
体で感じたように思います。
■ 神仏は「内側を目覚めさせる存在」
また、これは以前、
私にとって魂のメンターである
並木良和先生の上級クラスで
学んだことでもあります。
こうした神仏は、
本来どこか遠く離れたところにいて、
自分とはまったく別の
「外側の存在」ではない。
何かを崇拝したり、
依存したり、
ただお願いをする対象でもないのだと。
むしろ大切なのは、
自分の中にもともとある
その同じ「本質」の部分を
活性化することに等しい
そう教えていただきました。
だからこそ、
今、私がお稲荷さんと
ご縁をいただいていることも、
自分の中にある何か――
とくに「具現化」に関わるエネルギーを
活性化するタイミングなのだと、
そのように感謝して受け取っています。
■ 翌朝、体に起きていたこと
そして一晩明けると――
私の場合、
前日に受け取った学びや気づきは、
翌朝の“体”に現れます。
この日もそうでした。
目が覚めた瞬間から、
ものすごく体調が良かったのです。
帰りに家族と外食し、
少し食べすぎたにもかかわらず。
頭も、心も、魂も、
澄みきっている。
軽いのに、芯がある。
「ああ、本当に歓迎していただいたのだ」
そう、理屈ではなく、
体が先に理解していました。
そして、ふと思い出しました。
前日、参拝に出かける前、
ご先祖さまへお線香をあげながら、
「今日、豊川稲荷の本山へお参りします。
守護霊さま、先に行ってご挨拶をお願いします」
本当に、守護霊さまが
先にご挨拶に行ってくださっていたのだと。
だからこそ、あれほどまでに
あたたかく迎えていただけたのだと感じ、
ただ、静かに感謝が湧いてきました。

自室のダキニ天さんコーナーのおふだたて 一番左: 今回 豊川稲荷・本山のご祈祷でいただいた おふだ 中央: 先月の大祭で 豊川稲荷・東京別院のご祈祷でいただいたおふだ (背面にあるのは、その時いただいた 杓文字しゃもじ) 右: 豊川稲荷・東京別院でいただいた 御影守
■ 外側とは関係なく、満ちている
今回の豊川稲荷・本山参拝で、
いちばん大きく変わったのは、
私の内側の在り方でした。
とくに、
「豊かさ=豊」というものに対する
体感覚が、はっきりと変わりました。
そして、
静かに、しかし確かに
腑に落ちたことがあります。
世間一般で「成功」と呼ばれるものは、
本当は、関係ないのだと。
売上や評価や肩書き。
それが悪いわけではない。
けれど、それは
真の豊かさの本質ではない。
■ 真の豊かさとは何か
本当に大切なのは、
自分にとっての
真の豊かさと自由を、
夢物語で終わらせないこと。
覚悟を決めて、
最高の自分を極めながら、生きていくこと。
外側の条件が整うから
幸せになるのではない。
外側とは関係なく、
すでに充ちている。
その感覚が、
深いところから、
静かに、しかし揺るぎなく
湧き上がってきました。

■ 「在り方」と「欲」の統合
同時に、
もうひとつ、はっきりしたことがあります。
「在り方」を大切にすることと同じように、
「欲」を持ってもいいのだ、と。
「こうなりたい」
「こうありたい」
欲そのものを
なくすことが清らかさではない。
肉体を持っている限り、
欲やエゴを完全にゼロにすることは
おそらくできない。
でも、
それをどう使うかが問われる。
その欲が、
世のため、人のため、
そして自分のためにつながるものであるならば、
それは、
通すべきエネルギーなのだと。

■ 天と地をつなぐという生き方
人とは、
天と地をつなぐ存在。
天から降りてきたものを、
地に通す存在。
自分の魂の声に従って生きる。
自分の中に降りてきた真実に従って、
行動し続ける。
外側の成功や評価を
追いかけるのではなく、
自分にとっての真実を、
在り方を極め、貫き、
使命を全うする。
外側とは関係なく、
すでに満ちている。
その満ちたところから、
欲も、志も、
まっすぐに通していく。
それが、
今回の参拝を通して
私が決めた生き方です。
やりたいことはなんでもできる
行きたいところへはどこへでも行ける
なりたい自分には何でもなれる
そんな
真に自由で豊かな
最高の自分を
これからも 極め続けていきます。

長文をお読みくださり
ありがとうございました。
では、また!
鈴木みつこ
\ 魂の声に出会い、天職に目覚める90分 /
「魂の声に出会い、天職に目覚める
3ステップ体験セミナー」
「このままで終わりたくない」「本当の自分で生きたい」
そう感じているあなたのための、少人数・オンライン体験セミナーです。
売り込みは一切なく、安心してご参加いただけます。
▶ 体験セミナーの詳細・お申込みはこちら
https://mitsuko8888.com/lp/























